昭和40年02月09日 朝の御理解
今朝方私こんなお知らせを頂いた。『大きな花籠に、色とりどりの花が一杯置いてある。その花籠が、大きな堀とも堤ともつかんような、水が一杯湛えられたところへ、花籠がこうつけてある。そして私が思いよる事、こんなに見事に花が咲いてるけれど、ここの泉からこの花籠を引き上げたら、こりゃすぐ萎(しお)れるて、枯れるてと思いよるところ』じゃった。花籠ですから、こう付けておけば水が流れる。だから、花が生き生きとしてるっていう訳なんです。
椛目で皆さんが本当にこの信心の喜び、昨日もちょうど30名余りの青年男女の方達が集うてから、ちょうど12時迄信心の共励を本当にもう、喜々としてというか喜び一杯でというか、お互い信心の体験を、又は新しい信心を求める信心意欲を燃やして、ちょうど12時で降りて見えた。それから又御祈念をして、一応、帰る者は帰らにゃいけんと思うたけど皆立とうとする者がおらん。
そして又ここでひとしばらくその話しを皆さんなさつて、そして帰られたんですけど私、信心のやはり喜びというものですね、その喜びと言うものが、お互い確かに、あの、もっているけれどもその喜びはです、私椛目というお広前、椛目という信心のお恵みの水に湛えられておるからまあ生き生きしておるのじゃないかと、だからもうこれを引き上げたらです、引き上げたら、その花は萎れたり枯れたりするんだという事。
まあ椛目に御縁頂いておるから、もうおかげ頂いておると、そこで椛目に御縁頂いておる時にです、もう自らのもの、ね、信心を自分の物にするという事の為の信心がなされなければいけんのだなと云ったような事を、私感じたんです。ね、信心を自分の物にすると云う事、ね。なら椛目のお広前にこうしてお水が湛られておると、湛られておる間は良いかも知れませんけど、このお恵みの水がすっと引くかも知れん。時にはその喜びの、いわば花は枯れてしまうのであり、萎れてしまわなければならん。
何処へほうり出されてもと、何処へ行きましてもと、結局、信心が自分自らの物になっておれば、私おかげ頂かれると思う。ね、云うなら、大地に根を降ろしたような信心と云う事であろう。その昨日、皆さんが帰ったのが丁度12時半過ぎだったでしょうか、もうおしめりがだいぶあっておりました。皆んなが、自動車が何台も来てましたから、それに分乗して又単車、自動車で皆さん帰って行かれ、終わってしもうてから、むつ屋の信司郎さんだけが残っておる訳なんです。
ありゃおかしいなあちゅうてから、かずえさんが参っとった。ま、そのどうして残っとったじゃろうかと思うて、「いや僕は歩いて帰るっち」しかも夜中を、あの長靴も履いとりません。ねえ、あの来がけに自動車に乗って来とりますから、で、とうとう歩いて帰りました。 傘ぐらいさして行かんにゃと、私、無理に傘を持たしたんですけれども、ま、そんな事でございましたから、何か心に感じる所があったんでしょう。
まあ後ろ祈念さして頂くつもりで、まああの人が田主丸まで一里半、まあ1時間半かかるとしてとこう思いましたから、私は丁度2時半まで起きとりました。で長男それから長女それから妹の愛子と兄弟3人が一緒にお付き合いしてから起きとりました。そのお付き合いして、そのまあスト-ブを囲んで、まあ集まりゃ結局は信心話しでございますから、まあ色々信心話しをさせて頂きます中に、勝彦がこんな事を言うとります。
「僕はこう云うような事ではおかげが受けられん。こう云うような事では信心は頂かれん。こう云うような事ではお徳は受けられん。と云うような事柄を見たり聞いたり気付かして頂いた事をこのくらい厚さの雑記帳に控えておる。」と、こう云う。おかげを頂くこつと云う事は皆さんがなかなか、まああの、それは素人さんの事ですけど、こう云う事ではおかげが受けられんと云う事。
四神様の御理解の中にですね、「氏子十の良い事をするより一つの悪い事をするな」とおっしゃる言葉があります。ね、こげな事じゃおかげは受けられんと云う事をです、もう実際、間の当りに見たり聞いたりしておる、はあこげな先生がこう云うような事をしなさる先生はおかげは頂かん。それは少し見て来たり聞いて来たりしておる事を僕は控えておる。と云う事を聞かせてもらってから、はあ有難い事だとこう、そう云うおかげの受けられない根を絶たなければね信心は、私自分の物にはならん私は思うた。
どんなに椛目で信心そりゃ昨日も丁度、富永先生が日奈久のね見えとりました。その前の日は、山口の中村先生が見えとった。ね、それが二人がそのまあ口を揃えて言われた事、私が聞かせて頂いた中にです、「椛目の信心の高度なのに、来るたんびに驚きます」と云うとる。程度が高いと云う訳ですからとても椛目のお話しをです、頂いた御理解をそのままうちの信者に持って行っても分かりませんち、結局は、私が頂く以外にはないんだとこう、「それでいいんですよ」と、「私が頂く以外にはないのですよ
。信者に分からせようと思うてから来る先生はおかげ頂きませんよ。お話しの材料がなかったから、椛目に行ってから、お話の材料をもろうていこうと云ったような先生は、まあ椛目にはあんまりおりません。通うて来る人はいくらもございますけれど、やはり自分自身がおかげを頂く為に椛目に通うて来る。それで富永先生いいじゃないですか」って、話したことです。ね、
自分の物にする為に、ね、その自分の物にする為の信心修行と云うものがです、ね、だから本当に、打ち込むなら打ち込みがいのある所へ、私打ち込ませてもらわんといけん。それは一つの信心の、まあ、センチメンタルとでも申しましょうか、所謂、信司さんのような時代がありますよ。 雨の中を、しかも、もう1時にもなろうという夜の夜中にですよ、1里半の道をすたすたと歩いて帰る。なんともなしに、なんとはなしにしかし有難いですね、それが。信心ちゃ不思議な事です。ね。
私そんな事をですね、そのまあ課程として、そんなとこ通らせて頂くのは有難いんだけど、その事お願いして頂きよりましたら、『信司さんがですね、ここのお手洗鉢の所へ、あの実際は無いんですけども、あそこへですね、苔やらですね、しだやらが一杯こう生き生きして埋まっている所を頂きました。私、信司さんがその中のしだを一株ですね、自分方へ持って帰ろうと思いよるごとあるふうです。ね、
こんならば、もう金はいらんし、そやけ外に塀があります。こう一株引き抜いといてからですね、表門から持って行かんで裏門からポ~ンと投げといてから、後から拾って帰ろうというごたるふうにしておる所を頂いた。』ははぁ、今日の修行はこう云う修行だなと、私は思うたんです。金はいりませんよね、歩いて帰るとじゃから。けどもやっぱり信心には基を入れにゃいけません。
そのしだと云う事が、私はおかげの受けられないしだとは、例えば、それを語呂、同じ死んだ田といわば、不毛の地と云う事。しだのお知らせは、そんなお知らせです。そしたら、『あるお母さんがですね、そのお手洗いでですね、手、口をゆすがられるかと思ったら、手も洗わなければ口もゆすがない。ただ手すくいを飲むだけで、つうとお広前の方へ上がってゆくお母さんがある。
そしたらある娘さんが来てから、「はぁ苔のある苔のある」と言うてから、その今度は苔の方をです、ちり紙に包んで少し持ってから、こんならこんぐらいならもう、うちのこまい鉢に植えときゃ何処へでも持っていかれるからねと言ってから、持ってゆきよんなさる所を頂いた。』私は椛目で信心の稽古をさせて頂いておると云うけれども、本当の稽古をしとらん人があると思う。手も洗わん口もゆすがない。
いわば、お手洗いの水で、自分の心をゆすぎ清めると云うか、ね、おかげを頂くこの手を、お頂戴だけではいかん。これを、奇麗な手を出さにゃいかんと云うので清めるのが手口をゆすぐのです。それをその手口をゆすがず磨く改まろうじゃなくてから、お恵みの水をただ頂くだけで、ここへお参りして、自分は信心の稽古したようなつもりでおっては、つもりではいけません。ね、
なるほど信心を やはり、何処へでも持って行きたいか、ね、けれども、なら椛目にもやはり、椛目の信心にもです、ある意味では苔が生えているとこがあるだろうと思う。苔はむしろ落とさなきゃいけんのに、その苔を持って帰ったちゃいけんとゆうような感じがするんですね。信心もね、やはりその様々なところを通ってもいいです。無駄にはなりません。一足でも椛目に、、・・・・・・・・・・・・?たとえ一足でも向けや一足でも無駄にはならんと仰るから無駄にはなりますまい。
昨日、青年会の会合の中で、信心の基礎という事について、誰かが質問をした。誰もちょっと、そのならよいその答えが出来てなかった。「大体、信心の基礎って、どう云うふうに説明したらよいだろうか」というてから、豊美がいうております。「そうだな、基礎だからそりゃ分からんよ」と、私が申しました。質問が出来ないよって、基礎だもの、下の所へ打ち込んでいくとだもの。
いうなら、桜井先生が、あ~して椛目通いを一生懸命なさっておられるけれども、ね、椛目通いだけで、おかげ頂かれるのじゃない。13年間という福岡の教会での修行。目には見えないけれども、その修行の基礎というものがあって、その上に椛目の信心が打ち立てられていると云う所に、値打ちがあるのだと。けれども間違うとね、全然打ち立てるものもなんも無しに、一生基礎作りで終わって、そこでなあんも建たなかったと云う人は沢山あるんだから、本当ここはおかげ頂かにゃいけんなと。
基礎と云うものはね、無駄なようだけれど一生懸命、やはりお参りもするね様々な御用も頂いてみると、やはり基礎なしではほんなものは打ち立てられない。だから基礎と云うのは説明出来ない。ははぁ成程そう云う説明の仕方があるんですね。しかしそうですもんね。ですからです、例えば皆さんが椛目に10年通われた。ね、まあいろんな高尚な事も覚えたけれどもそれ程に、それが血肉になってるとも思われん。
してみるなら、この10年間なら10年間、14年間になりますか、14年間のその信心をです、皆さん無駄であったようにあるけれど、それを無駄にせずに、それを基礎になさったらどうだろうかと私は思う。そして、それを基礎にしてです。今日私が、あの、申しましたような、ね、自分の、いわば手探り的な修行じゃなくてです、ただ自分のセンチメンタルの感傷がです、ね、
こりゃもう若い人達だから、そりゃ出来るんですけれども、そう云う信心ではなくてです、こう云う事ではおかげは受けられん、こう云うおかげじゃない。こう云う事では信心が自分の物にはならないと云う事。信心は自分の物にする為に毎日お参りさせて頂いて、確かに、自分の心の中に喜びの花が咲いておるようであるけれども、それは切り花のようなものであって、椛目という大きな泉につけられておるから、ね、籠を通して入ってくるその水ですから。
いかにもそりゃ、自分のこう心の中に咲いた、花のようにあるけれども、引き上げたらおしまいであり、もしこの水が無くなったら、もう枯れなければならないと云う事である。よしこの水が枯れてもお互いの心の中、家庭の中はです水が湛られておるような、おかげを頂く為にです、ね、まあちょっとした信心のアイデアですね。この勝彦がその、これではおかげが受けられない、実証的な物を見たり聞いたりしておるその事を、はあこれではお徳は受けられないと云ったような事をです、ね。
一つ一つ自分の信心から取り除いて前に進めば、信心がいよいよ自分の物になる。 皆んな青年部の方達が降りて参りましてからでした。久留米の野口さんところの娘の子です。2,3回、青年会に入会して楽しみに参って来るんです、が、こう云う事を言ってます。「青年会が楽しみだと。そして必ず発表する事が出来ておる。だから、お話って云うものは、させられるものです。追い出すようにして、ね、そこで私が思います事は、」と話すのにです、ね。
「先日、発表させて頂いた事を次にはですね、もう次には問題が出来ておると云う事。だから、その次の問題を、又、信心で取り組ませて頂いて、又、この次の集いの時には、これをお話しさせてもらおう。だから、これはきりがない。そうして私共の信心と云う物が、こう成長させられておる。してみると、その問題が起きると云う事もです、問題は、例えば痛い事もある。痒い事もあるかも知れんけれども有難いんだ。」と、云うような事を言ってるんです。素晴らしい事だと私は思いました。ね、
問題は尽きないと云う事である。けれども、その問題が尽きない、尽きない信心の成長であると云う事である。それが次の月に又お話しさせて頂く材料になり、それで終えたかと思うと次に又問題がある。ね、云うなら、ま、真剣にその問題に信心で取り組んでおると云う事。してみるとその問題その物も有難いのだと云う事。そんな事言ってますですね。昨夜の兄弟3人で話しておるんです、愛子が申しております。
丁度ここでの修行中の時分は、あの人が3つだったから全然記憶がないらしいです。勝彦は、あの、ぼんやり覚えておる。豊美になると、もうほとんどはっきり覚えておる、あの時分の事が、もう本当にこの覚えておったと云う事が有難い。もう本当に「もちっと早う産まれりゃよかった。」と愛子が言いよりましたですね。その時分の事、そういう尊い修行させて頂きよんなさる時に、自分が知らなかったと云う事が。
豊美が申しておりました。〔なにがごからか〕、一年生でした。ですから学校から帰って来ると、薪とがらを拾いに行かんならん。あのがらを握るという感触と云う物が、今にまだ忘れられないと言うとります。 秋永先生なんかが見えた時だった。初めてあのライスカレ-と云うものを頂いたあの味、今でも忘れられんちゅうて勝彦が言うとりました。「お父さんと何処かに連れられて行った時に、どっかのみすぼらしい子供が水を下げてから行きよった。
お父さんが「何処まで持って行くか」と言うてから聞かれたら、もうその人も、それこそもう貧民窟のような所へ、お父さんがその水を持って行ってやんなさった事を僕は覚えとる。」お父さん覚えとりなさるですか」と、こう 「はあ、そんな事が有ったかね」もうそんな事なんか全然、あの、もう、やっぱり問題ではなかったごたあるねえ、私の信心には、と云うて話した事だった。
あの人達の兄弟の心の中に残っておるもの不思議でたまらん事がいくらもある。あの時代にどう云う、うちのお父さんはこちらに八畳の部屋があるのに、畳が敷いてあるのに、そこによその人を入れて、この物置の畳もなかったあの雨の降るような所へ僕達が入ったのであろうかと云う事。そう云う気持ちにどうしてなれるのであろうかと、しかも、行きずりの人である。ね、
ある教会にお参りさせて頂いたら、ね、とにかくもう今日家を追い出されんならんと云う人達、家族が9人か10人かありました。相当な暮らしをしておった人なんですけれども、奥さんがやり手過ぎてから、もうとにかく何もかにも今日、家族の者が出らんにゃならんと、けれども行く所がないと言うて、泣きついてその教会へ参って来ておられる所へ私がお話しに行っとった。
私は、「そんなら今夜、私共の家さへいらっしゃい」と言うてから、私の方へそれっきり、その部屋を提供致しました。そう云うような事がです、普通で出来るであろうかと、私そんな話し聞きながらです、ははぁ、あの時代に、まあ云うならば、今日のお恵みの水と云うような喜びと云ったようなものはですね、湛られておったんだろうと云うふうに感じました。ね、そう云う水は確かに椛目には湛られておるんです。
ですから椛目ではちょっと信心の稽古をさせて頂こうという気になったら、確かに、すぐ信心の喜びが感じられ頂かれるのです。それは、ほんなら皆さんの物になっておるのじゃない。そのお恵みの水のなかにつけられておるだけの事であると云う事。この水が引いたら、ね、ここを引き上げられたら、もう、その喜びの花は枯れたり萎れたりするのだと。そこでお互いがです、ね、自分の心の中にもです、もう、いわば大地に根をおろしたような意味合いにおいての信心が、自分の物になっておかなければいけないと云う事ですね。
皆さんがそうだと云うふうにわかんなさらなきゃいけないと、そして信心を自分の物にする為には、私は勝彦のその例を取りましたけれど、ね、そう云う物が、一つ一つ自分の内容から取れてゆくと云うか、改まられてゆくようなおかげを頂くこつよりもです。ね、こげな事では、おかげは受けられんと云う物を発見して、それを取り除いてゆくと云う事に、努めた方がおかげになる。自分の物になるような気がするんです。ね、
おかげ頂きました。